日本拳法家 心理カウンセラー タテケンのブログ  - 2006/05/24

日本拳法を中心に格闘技について

2006年05月24日(Wed)▲ページの先頭へ
たった今、俺が死んでもおかしくない
うつ状態になる前に、大きな試練を私は経験した。
うつ、鬱、鬱・・・、確かに辛く、しんどい次期だった。
しかし、うつ、鬱、鬱・・・
そんな状態よりも、その前の試練のほうが、今思えば辛かったかもしれない。
親や女房、そして女房の両親に心配をかけた。
死にそうになった。
一生涯、女房や女房の両親に、すまないという気持ちを持たなくては
ならなくなった。

私はSEになる前までは、趣味でバドミントンをやっていた。
大した選手ではなかったが、実業団リーグにも参戦したことが
ある。
体力は普通の人よりもあった。
子供のころから、病気らしい病気にもなったことがない。

しかし、5年間のSE生活が私の体を廃人にしていった。

それは当然やってきた。
結婚して三ヶ月ほどが経過した、ある日の夜だった。

夜寝ようとして布団にはいる。
仰向けになると、何かがノドに引っかかった。
うとうとと寝つけようとすると、ノドが苦しくなってくる。
空気が薄くなって、呼吸困難になっていくような感じだった。
そして、セキが出始める。

ゴホッ
ゴホッ
ゴホッ
ゴホッ
ゴホッ
ゴホッ

体を横向きにしてもダメだった。
うつ伏せになっても同じ。
タンがからみ、セキが止まらない。息苦しい。
息苦しさは、どんどん酷くなる。

深呼吸をしようとして、息を吸い込むと、ノドに息がひっかかる。
ゴホッ
ゴホッ
ぜぃ
ぜぃ

息を吸うたびに、ノドがこぉーこぉー、ぜぃぜぃと鳴る。
とてもでは無いが、寝ていられない。
布団から起きだして、立ち上がると少し楽になった。
洗面所へ行って、うがいをする。

うがいをしても、ノドの調子が良くなるわけでは決してない。
しかし、うがいをせずにはいられなかった。
椅子に座ると楽になった。

これが、毎晩続いた。
最初のころは、カゼだと思っていた。
椅子に座ったまま、テレビをぼ〜っと見ていた。
眠いし、毎日の激務で疲れている。だから椅子だと辛い。
和室で座椅子に、座ってぐったりと、ただ、ぼ〜とテレビを見続けた。

午前2時になり、午前3時になる。

「明日も仕事だから、早く寝なくては・・・」

座椅子に座ったまま、うとうとと、寝付けそうになる。
しかし、ぜぃぜぃとノドの音が耳に響き、ごほごほとセキが出て
目が覚める。

午前4時・・・
午前5時・・・
やっと寝れそうになって、布団にもぐり込む。
しかし、朝はすぐにやってきた。

こんな事が、気がつけば一ヶ月以上続いた。
体力の限界に近づいてきた私は、医者へ行きたいと上司へ相談した。

「夜になるとセキが出て眠れないんです。医者へ行っても良いですか?」

「そんなの仕事への集中力が足りないから、夜眠れないんだ。「俺なんか、
布団に入ったらバタンキューだぞ」

「眠いのは、眠いです。ここの所ろくに寝てないから、朝から晩まで、
強烈に眠いんです。だけど、夜になるとセキが出て眠れないんです。
病気じゃないでしょうか?」

「大丈夫、大丈夫。人間なんて簡単に死にはしないよ」

「一度医者の診察を受けたいんですけど・・・」

「いらん、いらん。お前がそんなに繊細な訳がないだろ。医者なんて
行かなくていい。お前は俺のいうとおり仕事してればいいんだ」

当時、過労死が騒がれはじめていた。確か、過労死が始めて
労災認定されたころだと思う。
しかし、私の身近な例では、過労死認定をされたことがなかった。

「仕事で死ぬわけがない」と、上司に言われて、引き下がるしか
なかった。

しかし、私の背中を女房が押してくれた。

「ここのところず〜っと、夜セキが出てるじゃない。どう考えても
おかしいよ。私のためにも医者へ行って」

運が良いことに有給休暇が沢山あまっていた。
労働組合との兼ね合いで、有給休暇だけは全て消化することになって
いた。

有給休暇を消化しますといった私に、先輩はこういった。

「仕事を終わらせてから休め」

私はサービス残業、サービス徹夜で働き、仕事をひと段落させた。
そして、やっと病院で診察を受けることができた。

「あ、喘息ですね」

医者の口から飛び出した意外な言葉に、私はすぐに聞き返していた。

「え?喘息?」

「ええ、喘息です」

「喘息って、あのセキが出る喘息ですか?」

「ええ、そうです」

「でも、僕は子供の頃から、喘息のぜの字もありませんでしたよ」

「最近多いんですよ。大人の喘息が・・・。残念ですが喘息は
一生治りません」

「・・・」

「でも大丈夫。今はいい薬がありますから・・・。それにしてもあなたは
運がいいですね。危なく過労死するところでしたよ」

「え?」

「子供の頃から喘息のぜの字がない方が、大人になってある日突然
喘息が発病する。喘息の発作の経験が無いから、発作とは気がつかない。
そのまま窒息死してしまうのです」

「喘息の発作って、そうなんですか?」

「喘息を甘く見ないでください。喘息の発作は、気管が締まっていくのです。
だから、呼吸困難になる。最近、多い過労死のパターンですね。喘息の
発作で死んだ人の顔は、『これ以上の苦しい死に方は無い』っていう
顔して死んでますよ」

「私は、過労死しそうだったんですか?」

「ええそうです。それに今でも、いつ過労死してもおかしくない状況です。
喘息の発作が出たときのために、常に吸引薬を携帯してください。
薬も出しますから、ちゃんと飲んでください」

「そうですか・・・」

「今はどんなお仕事をなさっていますか?」

私は、自分の仕事について医師に説明した。

「それじゃあ、過労死しちゃいますよー。
仕事が忙しく、職場の人間関係が悪い。そういったストレスと慢性疲労が
原因で、喘息が発病するのです。
だけど、あなたの仕事は酷すぎますね。
喘息以外の病気にも、充分気をつけてください。
上手く休んで、ストレスと疲労をためないようにしないと・・・。
お仕事ですから、なかなか難しいとはおもいますけどね」

過労死しなかったのを運が良いと思うべきなのか?
それとも、今まで一つの病気らしい病気すらなかったのに、
一生付き合う持病、いつ死んでもおかしんくない病気を
持ったことを悔やむべきなのか?

なによりも、女房の両親に申し訳なかった。
結婚して一年も経過していない。
病気持ちのハンバな男に、大事な娘を嫁がせてしまった。
お父さん。お母さん。本当にごめんなさい。

女房にも、本当にすまないと思い続けている。

この日依頼、私は喘息の吸引薬を常に携帯するようになった。
もちろん、今でも持っている。
一度、旅行に薬を持っていくのを忘れて、死にそうになった。

うつ、鬱、欝・・・あの状態も、辛かった。
しかし、生死の判断は、私の手にゆだねられていた。

喘息の発作は、いつおこるか判らない。
私はたった今、死ぬかもしれないのだ。
だから、当時はとても怖かった。
上司や先輩を恨んだ。

しかし、心理学を学んだ今は、もう大丈夫だ。
長い時間がかかったが、充実した人生を過ごしている。







   




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私は現在45歳です。79kgありましたが、63kgへダイエットして日本拳法をはじめました。

通勤時間3時間40分の多忙なサラリーマンですが、自分のペースで日本拳法を続けていきます。

今年は、三段を取ります。

カレンダ
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